1966年トリノショーにフィアットからスポーツカーが発表された。それがフィアット124スポーツスパイダーだった。ピニンファリナのデザインによるボディにはDOHCの 1438㏄エンジンが搭載され、5速マニュアルトランスミッション、4輪ディスクブレーキと当時のスポーツモデルとしては最先端の技術が使われていた。
フィアットはこの124スポーツスパイダーのプロモーションのためにヨーロッパ・ラリー選手権(ERC)へ出場させた。1970年のモンテカルロラリーには、グループ3(GTクラス)/3クラスで1-3位を占めることができた。しかし総合優勝を狙うには、ポルシェ911、アスピーヌA110、フォード・エスコートを凌駕する性能が必要となった。
124スポーツスパイダーは、アバルトにより改良が加えられた。エンジンはDOHC の1800㏄、サスペンションもロードホールディングを向上させるために手が加えられた。ボディも樹脂や軽合金が使われ軽量化された。この新ラリーカーは1972年に「フィアット・アバルト124ラリー」として発表され、翌73年から始まる世界ラリー選手権(WRC)/ERCに出場した。しかしフィアットがマニュファクチャラーズ選手権獲得を狙うその前には、大きなライバルが存在した。それがアルピーヌ・ルノー。アルピーヌ・ルノーはミッドシップに樹脂ボディを被せたアルピーヌA110でラリーを席巻、タイトルを獲得した。
翌1974年は中東戦争に端を発したオイルショックでモータースポーツも縮小気味だった。開幕戦となったポルトガルでフィアットは1-3位を独占。しかしグループ会社のランチアがこの年にランチア・ストラトスを投入、シーズン2勝を挙げてタイトルを獲得してしまった。以降フィアットは75年までアバルト124ラリーで戦うも、76年から131アバルトへマシンを変更した。
このアバルト124ラリーでトップラリードライバーとして名を馳せたのが、マルク・アレンだ。74年のポルトガルと1000湖ラリーで3位に入賞。アメリカで開催されたプレス・オン・リガードレスで2位。翌75年はアバルト124ラリーでWRCフル参戦となった。こうしてアレンはその後1981年まで131アバルトでWRCを戦うこととなる。
2015年、ロサンゼルスオートショーで「124スパイダー」が発表されると、翌16年のジュネーブモーターショーでは「アバルト124スパイダー」が発表された。公開時に往年のアバルト124ラリーと共に展示されたこともあり、アバルト124スパイダーのモータースポーツ活動も期待された。それまで2輪駆動のラリーカーで争われるFIA R-GTカップは、ポルシェ997が連続してタイトルを獲得していた。アバルト124スパイダーは、2017年からR-GTカップに出場。エントリー名をアバルト124ラリー RGTとして出場。F.アンドルフィJr.が1勝を挙げシリーズ2位に(R-GTはドライバー選手権のみ)。2018年はアバルト124ラリーRGTをドライブするR.アスティエが、2019年はE.ブラッツオーリがR-GTカップのタイトルを獲得している。
年 | イベント名 | ドライバー | コ・ドライバー | マシン | リザルト |
1972 | ヨーロッパラリー選手権 | R.ピント | G.マカルーゾ | フィアット・アバルト124ラリー | チャンピオン |
1973 | ポリッシュラリー | A.バルンボルト | J.トッド | フィアット・アバルト124ラリー | 優勝 |
1973 | WRCマニュファクチャラーズ | フィアット | 2位 | ||
1974 | ポルトガルラリー | R.ピント | A.ベルナルッキ | フィアット・アバルト124ラリー | 優勝 |
1974 | WRCマニュファクチャラーズ | フィアット | 2位 | ||
1975 | ポルトガルラリー | M.アレン | I.キビマキ | フィアット・アバルト124ラリー | 優勝 |
1975 | ヨーロッパラリー選手権 | M.ベリーニ | F.ロセッティ | フィアット・アバルト124ラリー | チャンピオン |
2018 | FIA R-GTカップ | R.アスティエ | F.ボクラー | アバルト124ラリー RGT | チャンピオン |
2019 | FIA R-GTカップ | E.ブラッツオーリ | M.フェノーリ | アバルト124ラリー RGT | チャンピオン |
2020 | モンテカルロ R-GTクラス | L.カプラス | R.ヘルマン | アバルト124ラリー RGT | 優勝 |