日本とつながりの強かったドライバー
ミッコラ

ハンヌ・ミッコラ – Hannu Mikkola

1942年フィンランド・ヨエンスー出身。ラリーのスタートは1963年、ボルボ444で。初めてのWRCは1973年モンテカルロ、フォード・エスコートRS1600Mk.Ⅰで出場し4位に。当時はすでにフォードワークスドライバーだった。75年からトヨタ、78年からは再びフォードで出場。81年からラリーに新風を呼んだターボ4WDマシンのアウディ・クワトロをドライブ。83年にはアウディでドライバーズタイトルを獲得。88年からはマツダ323 4WD(ファミリア)でWRCに出場、91年までマツダのWRC活動に尽力。93年には、スバルやトヨタで参戦するが、以降は現役を引退、ヒストリックラリーなどに参加している。

1978年のRACラリーで優勝。この年イギリス国内選手権ではシリーズチャンピオンを獲得した

ミッコラのラリースタートは21歳(1963年)の時に中古のボルボ444でフィンランド国内のラリーに出場。翌年はシムカ1500でラリーに数戦出場するがリタイア続きだった。当時VWビートルで出場していたパウリ・トイボネン(ヘンリ・トイボネンの父)の誘いで、まだヨーロッパラリー選手権(ERC)の1戦だった1000湖ラリーにVWビートルで出場するも、点火系トラブルでリタイア。当時エンジニアとしての勉強をしていたミッコラは積極的にラリーには出られなかったが、66年にボルボ544、122で国内ラリーに出場すると1勝を挙げ、フィンランド選手権でシリーズ2位になった。翌67年にはスポット参戦だったが、ワークスランチアのフルビアでモンテカルロラリーに出場した。この頃ミッコラは、当時のトップドライバーとして活躍していたティモ・マキネンらを国内選手権で負かすなど速さをみせていた。

68年には日産フェアレディでモンテカルロラリーに出場。9位でフィニッシュ。当時のミッコラは日産のほかにランチアが注目していたが、日産の契約が早かったのだ。日産は3戦の契約だったので、日産が出場しない他のラリーにはランチアで出場。同年の1000湖ラリーをフォード・エスコートツインカムで出場すると念願の初優勝。フィンランド選手権はボルボ122でチャンピオンを獲得。

1968年モンテカルロラリーに、ダットサン2000(フェアレディ)で出場したミッコラ

69年は日産でもランチアでもなく、フォードからヨーロッパラリー選手権(ERC)に出場する。これはWRC制定以前(WRCは1973年から)だったため、ヨーロッパはラリー人気が最大に強かったからだ。フォードとの契約は74年まで続いた。ただその期間中も、フォードが出ないイベントについてはボルボやプジョーでラリーに出場していた。70年にはロンドン~メキシコ・ワールドラリーカップにフォード・エスコート1850GT Mk.Ⅰで出場、2万5700キロのコース内に設けられた800キロのステージを9時間7分で走り優勝。

1972年サファリラリーに、フォード・エスコートRS1600で優勝

75年はWRCの前半をフィアットとプジョーで出場、コ・ドライバーはジャン・トッドだった。フィアットのチームメイトには、マルク・アレンがいた。互いにいい意味でのライバルだったが、モンテカルロラリーの時にはアレンとの争いでかなり熱くなっていた。トッドから「OK、ハヌー、もう限界に来ている、ベストは尽くしている」とたしなめられ、ラリー中の冷静さを取り戻したという。同年の1000湖ラリーにはトヨタ・カローラレビンTE27で優勝。トヨタに貴重なヨーロッパラウンドでの初優勝をプレゼントした。同年のRACラリーにはセリカ2000GTで出場した。また当時メーカーが積極的に出場していたオーストラリアのサザンクロスラリーには、三菱ランサーGSRで出場している。

1975年1000湖ラリーには、トヨタ・カローラレビンTE27で優勝。「フォードより40馬力くらい足りなかった」と言っていた中での優勝だった

1975年のサザンクロスラリーに、三菱ランサーGSRでスポット参戦した

76年は開幕戦のモンテカルロはオペルで出場したものの、そのほかのイベントをトヨタとプジョーから出場した。コ・ドライバーに変化があった。ジャン・トッドをメインに、数戦をアーネ・ハーツと組んだ。ハーツとは翌77年から87年まで続いた。

78年ラリードライバーズカップ(翌年WRCドライバー選手権の前身)、79-80年のWRCドライバーズ選手権と3年連続でシリーズ2位となった。

1979年はコート・ジ・ボアールに、メルセデス・ベンツ450SLCで出場、優勝した

81年からアウディに移籍し、WRCにラリーカーの変革を持ち込んだアウディ・クワトロでラリーに出場しスウェディッシュとRACに優勝した。82年はRACに優勝。83年は4勝を挙げてドライバーズチャンピオンを獲得した。グループB時代を経てアウディには87年まで在籍、87年のサファリラリーにはグループAアウディ200クワトロで優勝した。これがミッコラのWRC最後の優勝となった。

ターボ4WDのラリーカー、アウディ・クワトロはWRCに変革を持ち込んだ。写真は1984年アクロポリスのアウディ・クワトロA2

ミッコラ最後のWRC優勝は、87年サファリ。アウディ200クワトロだった

88年からはマツダラリーチームヨーロッパ(MRTE)から1.6ℓターボ4WDのマツダ323 4WD(ファミリア)で出場、マツダの4WDターボの開発・熟成に尽力。マツダ時代からコ・ドライバーはクリスチャン・ゲイストドルファーに代わった。90年の1000湖ラリーからマツダは1.8ℓターボ4WDの323GTXを投入。91年でマツダがWRCから撤退すると、ミッコラのワークスチームによる活動も終わった。しかし93年にはスウェディッシュにはスバル・ワールドラリーチームの(SWRT)スバル・レガシィRSで、1000湖ラリーにはTTEのトヨタ・セリカGT-FOUR ST185で出場した。スウェディッシュはリタイアしたが、1000湖は7位でフィニッシュ、ミッコラの存在感を示した。

以後はフォード・エスコートRSなどで、ヒストリックカーラリーに出場している。

ハンヌ・ミッコラ WRC勝利の記録

回数 イベント名 コ・ドライバー マシン
1 1974 1000湖ラリー ジョン・ダベンポート フォード・エスコートRS1600 Mk.Ⅰ
2 1975 モロッコラリー ジャン・トッド プジョー504Ti
3 1975 1000湖ラリー アゾ・アホ トヨタ・カローラレビンTE27
4 1978 RACラリー アーネ・ハーツ フォード・エスコートRS1800 Mk.Ⅱ
5 1979 ポルトガルラリー アーネ・ハーツ フォード・エスコートRS1800 Mk.Ⅱ
6 1979 ニュージーランドラリー アーネ・ハーツ フォード・エスコートRS1800 Mk.Ⅱ
7 1979 RACラリー アーネ・ハーツ フォード・エスコートRS1800 Mk.Ⅱ
8 1979 コート・ジ・ボアール アーネ・ハーツ メルセデス・ベンツ450SLC
9 1981 スウェデイッシュラリー アーネ・ハーツ アウディ・クワトロ
10 1981 RACラリー アーネ・ハーツ アウディ・クワトロ
11 1982 1000湖ラリー アーネ・ハーツ アウディ・クワトロ
12 1982 RACラリー アーネ・ハーツ アウディ・クワトロ
13 1983 スウェデイッシュラリー アーネ・ハーツ アウディ・クワトロA1
14 1983 ポルトガルラリー アーネ・ハーツ アウディ・クワトロA1
15 1983 アルゼンチンラリー アーネ・ハーツ アウディ・クワトロA2
16 1983 1000湖ラリー アーネ・ハーツ アウディ・クワトロA2
17 1984 ポルトガルラリー アーネ・ハーツ アウディ・クワトロA2
18 1987 サファリラリー アーネ・ハーツ アウディ200クワトロ

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