ターボ4WDでWRCに革命を起こしたマシン

アウディ最後WRC優勝となった1985年サンレモ、オーバーフェンダーもいかめしいE2

1980年3月のジュネーブモーターショーのアウディブースで「クワトロ」が発表され、11月にはアウディ・クワトロとして発売された。このクワトロはフェルナンド・ピエヒ博士が主導して開発したスポーツクーペで、2.1ℓ5気筒ターボ+センターデフ付きフルタイム4WDを装備していた。フロントに搭載された鉄ブロックの5気筒エンジンは重く、バランスが悪かったがこの頃はあまり意識されていなかった。

翌81年1月上旬、オーストリアで開催されたERC第1戦イエンナラリーでフランツ・ビットマンがドライブするアウディ・クワトロがスノーステージのラリーで優勝。幸先のいい出発だった。アウディは1月末のWRC第1戦モンテカルロに向けて、ハンヌ・ミッコラとミッシェル・ムートンへアウディ・クワトロを託した。ライバルはフォード・エスコートやフィアット131などFR勢と、ランチア・ストラトス、ルノー5ターボのミッドシップ勢、ポルシェ911のRR勢だった。クワトロの速さは、ラリーが始まるとすぐにライバルへ衝撃を与えた。スノーステージを攻めるミッコラのクワトロは、6か所のSSを終えた時点で2位に6分のリードを得ていた。しかし3レグ目でミッコラはリタイアしてしまい、初勝利は次戦スウェーデンまで持ち越された。タルボと日産がマニュファクチャラーズ選手権を争ったサンレモラリーにはムートンが女性ドライバーとしてWRCを初制覇する快挙を成した。最終戦のRACはミッコラが優勝したものの、マニュファクチャラーズタイトルはタルボが、ドライバーチャンピオンはアリ・バタネンが獲得した。しかしサンレモとRACに優勝したアウディのターボ4WDが、82年以降WRCをリードすると思われた。

それでも82年はまだFR勢にも勝機があったものの、アウディは7勝を挙げて(うちメーカー選手権の掛かったイベントは5勝)マニュファクチャラーズタイトルを獲得した。ムートンは3勝を挙げるも、上位フィニッシュを続け2勝を挙げたバルター・ロール(オペル)にチャンピオンをさらわれた。

女性WRCドライバーのミッシェル・ムートンは1982年WRCで3勝を挙げたが、チャンピオンに届かなかった

車両規則のグループBがスタートした83年、開幕戦はランチア037ラリーに敗れたものの、第2戦スウェーデンでは1~3位を独占。特に1、3位は改良版のクワトロA1だった。第3戦ポルトガルでは1-2位フィニッシュ、第4戦サファリではオペル・アスコナに敗れるも2-3位を獲得。第5戦オールターマックのツール・ド・コルスでは改良版A2を投入するも037が1-4位を独占、A2はリタイアした。得意のグラベルラリー連戦となったアクロポリスとニュージーランドも落としてしまい、アウディのタイトル連覇に暗雲が立ち込める。それでもアルゼンチンは1~4位を独占した。1000湖ラリーは1-2位、4位フィニッシュと結果がついてきた。サンレモはランチアが上位独占したものの、ドライバー選手権の掛かったコート・ジボアールでミッコラが2位、最終戦RACでミッコラが優勝すると、ドライバーチャンピオンはミッコラの手中に入った。残念ながらマニュファクチャラーズタイトルはランチアに奪われた。

1984年のアウディはブロンクビストがドライバーチャンピオン、アウディもマニュファクチャラーズタイトルを獲得

アウディは84年のタイトル奪還のためスティグ・ブロンクビストを全戦、ロール、ミッコラ、ムートンを得意なラリーに出場させ、さらに地元スペシャリストを各ラリーにスポット参戦させた。1シーズン、総勢12名のドライバーを適材適所に出場させ世界選手権を戦った。その甲斐あってサファリ、コルシカ、1000湖、サンレモ、RACは落としたもののそれ以外で7勝を挙げ、ブロンクビストがチャンピオン、アウディもマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。しかし1000湖、サンレモ、RACで優勝したプジョー205T16は、クワトロに比べてもバランスに優れるミッドシップターボ4WDであり、85年には強いライバルとなることが予想された。

85年は開幕戦よりプジョー205T16がラリーを制し続けた。モンテカルロ、スウェーデンをバタネンが連勝、ポルトガルをティモ・サロネンが奪った。アウディはクアトロ・スポーツを投入するも2位がやっとだった。結局この年はサンレモに投入したクワトロスポーツE2の1勝のみで、アウディ・クワトロのWRC最後の優勝となった。

1985年には軽量仕様のクワトロスポーツを投入したが、プジョーに圧倒される

86年のモンテカルロにはミッコラとロールがクワトロスポーツE2で3-4位に入るも、優勝はランチア・デルタS4、プジョー205T16E2、ポルトガルにロールが参戦したのみで姿を消した。

グループBに代わるグループS用車両としてアウディ・スポーツクワトロRS002が開発されたが、他メーカーのグループS同様実戦に出ることはなかった。

87年にはクワトロスポーツS1をベースにしたマシンで、ロールがパイクスピークヒルクライムに出場し、優勝を飾っている。

1987年アメリカ・コロラド州ノパイクスピークヒルクライムには、E2をベースにさらに空力を進化させた仕様で出場し優勝

グループSのRS002は、複合素材のボディにミッドシップ4WDのマシンとして開発された

アウディ・クワトロ WRC優勝の記録

イベント名 ドライバー コ・ドライバー マシン
1981 スウェデイッシュラリー H.ミッコラ A.ハーツ アウディ・クワトロ
1981 サンレモラリー M.ムートン F.ポンス アウディ・クワトロ
1981 RACラリー H.ミッコラ A.ハーツ アウディ・クワトロ
1982 スウェデイッシュラリー S.ブロンクビスト B.セダーバーグ アウディ・クワトロ
1982 ポルトガルラリー M.ムートン F.ポンス アウディ・クワトロ
1982 アクロポリスラリー M.ムートン F.ポンス アウディ・クワトロ
1982 ブラジルラリー M.ムートン F.ポンス アウディ・クワトロ
1982 1000湖ラリー H.ミッコラ A.ハーツ アウディ・クワトロ
1982 サンレモラリー S.ブロンクビスト B.セダーバーグ アウディ・クワトロ
1982 RACラリー H.ミッコラ A.ハーツ アウディ・クワトロ
1983 スウェデイッシュラリー H.ミッコラ A.ハーツ アウディ・クワトロA1
1983 ポルトガルラリー H.ミッコラ A.ハーツ アウディ・クワトロA1
1983 アルゼンチンラリー H.ミッコラ A.ハーツ アウディ・クワトロA2
1983 1000湖ラリー H.ミッコラ A.ハーツ アウディ・クワトロA2
1983 RACラリー S.ブロンクビスト B.セダーバーグ アウディ・クワトロA2
1984 モンテカルロラリー W.ロール C.ゲイストドルファー アウディ・クワトロA2
1984 スウェデイッシュラリー S.ブロンクビスト B.セダーバーグ アウディ・クワトロA2
1984 ポルトガルラリー H.ミッコラ A.ハーツ アウディ・クワトロA2
1984 アクロポリスラリー S.ブロンクビスト B.セダーバーグ アウディ・クワトロA2
1984 ニュージーランドラリー S.ブロンクビスト B.セダーバーグ アウディ・クワトロA2
1984 アルゼンチンラリー S.ブロンクビスト B.セダーバーグ アウディ・クワトロA2
1984 コート・ジボアールラリー S.ブロンクビスト B.セダーバーグ アウディ・クワトロスポーツ
1985 サンレモラリー W.ロール C.ゲイストドルファー アウディ・クワトロスポーツ E2

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